田中 雅仁 プロフィール
東京都出身。桐朋学園,ニューイングランド音楽院を最優秀の成績で卒業。後,ボストン大学,アムステルダム・スウェーリンク音楽院に学ぶ。故戸澤宗雄,故S.ウォルト、M.ルジェロ、J.モスタード各氏に師事。また指揮法をR.ピットマン氏に師事する。 1978年より、「ハーグ・レジデンティ管弦楽団(オランダ)」「南西ドイツ放送交響楽団」「ベルギー王立モネ劇場交響楽団」「新日本フィルハーモニー」各首席奏者を歴任。その間,ソリストとしても世界各地で演奏し、『最高のバスーニスト』『最大のヴィルテュオーソ』と絶賛される。 バロックから現代までの幅広いレパートリーを持ち、特に、チェロやフルートの曲でも自在に演奏する驚異的なテクニックと音楽性は欧米の音楽界が注目し、賛辞を惜しまないところである。 ソリストとしての活動と併せて、「アンサンブル・ラミ」「東京ウィンド・ソロイスツ」「アンサンブル・ソレール」を主宰し、室内楽の分野でも活躍。 これまでに、故J.プリッチャード卿、故A.フイードラー等の指揮による「ボストン・ポップス」「ロイヤル・ワロネー室内管弦楽団」「ベルギー国立歌劇場交響楽団」等、とコンチェルトを共演。またM.ペトリ、M.アリニョン、P.ピエルロ等多くのソリストと室内楽を共演。特に「20世紀バレー団」と共演した「春の祭典」「兵士の物語」(EMIに録音)ではベジャールに絶賛された。 |
メッセージ |
エヴァ・ヴァイセ (ドイツ音楽ジャーナリスト)
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過去10〜15年間における音楽界の顕著な事柄の一つに、ソロ楽器としての管楽器のリヴァイヴァルがある。 「ロマンティック・ヴィルテュオーゾ」の時代以後この時期まで、演奏会におけるソロは、ほとんどピアノとヴァイオリンに限られていた。そして管楽器は常にその影に留まらなければならなかった。演奏技術の進歩がこのリヴァイヴァルを可能にした大きな原因であるが、また同時に、人々が豊かで爛熟した後期ロマン派の響を好むようになり、その中の色彩豊かな木管楽器の音に耳を傾けるようになったことも、それを助けたのであろう。 そしてこの間、フルートをリーダーとして他の木管楽器がソロ楽器としての地位を確立してきたにもかかわらず、バスーンはごく最近までソロ楽器としては顧みられることがなかった。そして一部の表題音楽がこのような連想を容易にしてしまったのであろうが、「オーケストラの道化」といういい方で代表される様に、おどけた表現だけが得意の低音楽器と思いこまれていたのである。 しかし、マルセル・モイーズも語っているように、ありふれた常套句で頭ごなしに楽器の性格をきめつけるような時代はとうに終わったのである。現代の高度な技術の完成により、バスーンは広い音域と表情豊かな音色、また広いダイナミクス・レンジを備え、木管楽器の中でもひときわ豊かな表現力をもつようになった。 そのバスーンの可能性をひきだせる現代の名手の一人が田中雅仁である。彼は火花の散るような超絶技巧、ノーブルで変化に富んだ音色、4オクターブをこす広い音域、そして、日本人のデリカシーをもってヨーロッパ楽壇にあらわれ、ソロ楽器としてのバスーンを認識させた。 彼のスタイルは(経歴の示すとおり)大変インターナショナルである。彼は19世紀末から二つに分かれてしまったこの楽器の両方のシステム(ドイツ式とフランス式)の良いところをとり、合わせ持つことに成功した。すなわち、現在世界で広く使われているドイツ式の楽器を用い、その豊かな音量と響に、失われつつあるフランス式のもつ柔軟性と繊細さを加えたものである。 すでに発売されている多くのCDで彼のすばらしい演奏を聴くことができる。特にR.コルサコフの「熊蜂の飛行」とP.Geninの「ナポリ民謡による幻想曲」(もともとフルートの曲である)の演奏は、この楽器のテクニカルな可能性を認識させるには充分であろう。 1995年5月 西ドイツ・エッセン市にて |